必要悪だった国家神道という「カルト」

 幕末から明治維新にかけての我が国は、列強諸国に植民地として侵食されない内に欧米列強に対抗できる国となるために、短期間の内に自国を封建国家から国民国家に作り変える必要があった。
 基本的に武士や騎士といった身分階級しか戦闘要員に動員できない封建国家は兵力動員能力において国民国家に対抗し得なかったのだ。(ナポレオンが示したように当時の戦闘様式では兵力動員能力が戦力を大きく左右した。)
 明治の元勲達は国民国家の仕組みの本質を良く理解していた。
 国民国家の兵力動員能力の高さは、適齢健康な成人男子全てを徴兵できる「民主主義」というシステムに依ること。(当時の民主主義は徴兵される立場にある成人男子にしか投票権が無かった。)
 「民主主義」を担保するものが「基本的人権」等の「万民の平等」であり、それを担保するものがキリスト教の「神の前での万民の平等」であること。
 当時の日本は身分制度が強く根付いており、明治の元勲はそれを排するためにキリスト教に代わるロジックを必要とした。そして、それが明治の元勲が作り出した「国家神道」であり「天賦人権」であり「天皇の前での万民の平等」であった。

 国家神道は日本古来からの神道から大きく逸脱している。
 古神道は万物の中に神を見る。だが、国家神道は天皇と国家が神の全てだ。
 古神道では仏教との結びつきをみた。だが、国家神道は廃仏毀釈を行った。
 古神道は敵をこそ手厚く祀る。それは無念の気持ちを持って死んでいった者達の祟りを畏れてのこと。
 だが、国家神道においては味方を手厚く祀り、敵の祀り方は非常に等閑なものだ。
 靖国には味方の戦没者しか祀られておらず、敵の戦死者は現地で細々と祀られればマシという程度。
 梅原猛氏が主張するように靖国は古来よりの神道の伝統に反する。
 国家神道は明治の元勲が作り出した新興宗教であり、天皇を現人神かつ絶対神とし、天皇への盲従を強いるカルトといえる。
 ある意味、明治の元勲は日本を短期間で国民国家に作り変えるために「カルト洗脳」を用いたといえよう。
 カルト洗脳は悪だが、短期間の内に人を作り変えるには有効な手段だ。
 国家神道は日本を欧米列強に対抗できる国民国家とするための必要悪だったといえる。
 しかし、戦闘様式が変化し(現代の戦闘では高度な技術を身につけた専門職の扱う高性能兵器により兵力動員能力の重要性が低下している)、民主主義が根付いた今はもう国家神道は必要は無い。
 必要悪から必要が消えればそれは只の悪だ。
 未だ国家神道にしがみつく連中は、自分たちに都合のいい統治のために天皇を利用したいだけにしか見えぬ。
 天皇に国家神道の象徴であることを求め、国旗国歌を強制することこそ天皇の御心に叛くことと知れ。

付記

 戦前の日本が様々な判断を誤った理由は色々あるが、その理由の一つに国家神道を挙げてもいいだろう。
 国家神道を盲信する狂信的国家主義者によるテロ活動を恐れ、ある者は口を噤み、ある者は妥協した。また、ある者は天皇という看板に逆らえなかった。そして、ある者は天皇という看板を己が望むままの政策を実現するための道具として使った。民主主義を導入するために作られた国家神道が、民主主義を殺すために使われた。
 国家神道を恣意的に利用した者たちが日本という国に思考停止を招いた。
 かつての明治の元勲達が持っていた、欧米列強の意図を見抜いた上でそれを逆利用して近代化を推し進めたような闊達さや臨機応変さは国家神道による天皇への盲従のもと、失われていった。
 (明治の元勲は、勢力支援をすることで幕府や薩長の指導層に付け入り、あわよくば日本を植民地化しようという欧米列強の意図を良く見抜いていたものだった。欧米列強が見込んでいた大規模内戦がおこらなかったが故に、日本に売り込むために大量の火器を準備していたグラバー商会は倒産した。)
 日本を立て直すためには日本人としての魂の回帰が必要かもしれない。しかし、少なくともその魂の回帰すべき場所は戦前の国家神道日本ではない。

大雑把な参考文献:井沢元彦氏の著作や梅原猛氏の著作・発言。まあ、井沢元彦氏の著作も山本七平氏や海音寺潮五郎氏の著作の恣意的な焼き直しに過ぎないわけだが。


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