政権交代の必要性
マスメディアは政権公約の内容とその実現性に関する話題で賑わっておるが、拙者はその手の論議はやや今の政治の本質論から外れていると思う。
確かに公約の内容やその実現性は大切だ。
しかし、今、問題にするべきことは長年自民党が日本の政治を支配しつづけてきたことによる政治腐敗であり、政権交代の必要性ではなかろうか。
自民党が与党にこだわる理由、そして名だたる大企業が自民党に企業献金を行う理由を考えてみるがよい。
企業は政党に献金することで政党に自分たちに都合の良い政策をとってもらうことを期待しているし、政党の方もそういう献金を受けることのできる立場にとどまろうとする。同じ政党が長年与党に留まれば留まるほど大企業とそれが支援する政党の結びつきは強くなる。そして、大企業や政治家の利益を優先する政策が通る一方、大多数の国民の利益は軽視されることとなる。
そのような大企業や政治家やそれらを構成する高額所得者だけが政治を私する状況。そこでは貧富の差が拡大し、社会保障の内容は低下し、国民の大多数を占める低中所得層が泣きをみることとなる。
そのような事態を防ぐ為には、ある政党が腐敗が目に余るほど長い年月、政治を支配しつづけるような状況になることを防がねばならぬ。政治腐敗に対しては国民の意思を示して政権交代を成し遂げねばならぬということだ。
政権交代には政官・政財のつながりといった政官財トライアングルの辺を断ち切る効果が期待できる。断ち切れぬまでも人脈の都合上、確実につながりを弱めることができる。完全な浄化は無理かもしれぬが、悪化は防ぐことができる。
腐敗した政党がいかに良い政権公約を掲げようと、それが実施されるとは限らぬ。政治家には自浄作用が期待できる人間は少ないからだ。口約束だけで、相も変わらぬ政策を取りつづけるのが落ちというもの。ならば、いっそのこと入れ替えてしまった方が確実というものだ。
「流れる水は腐らない」という。そして、滞った水は腐りやすいものだ。
権力も一所にあれば腐りやすい。
政治腐敗に対しては政界の人事を刷新することであたる必要があるのではなかろうか。そのためには国民一人一人が政治を意識し、投票活動などの政治活動を真剣に考えて行わねばならぬ。
国民の代表者を選ぶ選挙がただの人気投票になるようでは、あまりにも嘆かわしい。
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