抵抗の本質
世の中には、力ずくで相手に理不尽を強いるから相手が抵抗するのに、その抵抗を力ずくで潰してしまおうとする人々がいる。
その人々は、抵抗の本質が「力ずくでは相手を倒すことはできても、相手を納得させることはできぬ」ということにあることを理解できぬのであろうか。それとも理解した上で行っているのであろうか。
いずれにせよ、その本質の解決なくして抵抗が収まることはない。(相手が滅びるまで続けぬ限り。もとより今の世において非戦闘員まで無差別殺戮するような絶滅戦争など馬鹿げているが。戦争は外交の延長。)
現代においてそれをもっとも明確に示しているのは、米国による軍事進攻だ。
米国の軍事力は強大で、米軍は史上最強かつもっともシステムとして完成された軍隊だ。アフガニスタンやイラクのような国が相手であれば軍事的勝利はたやすい。
だが、例え勝利しても、住人の意に添わぬ理不尽な支配を続ける限り人々の抵抗は続く。
行いとは、相手を理解せず相手が望まぬものをおしつけるようであっては、たとえ善意に基づいていようと、反発を買うものだ。
善意の仮面をかぶった者が、その腹の底を見透かされているようなことがあれば尚更というものであろう。
今の世の人々は、そのような当たり前のことを失念しているのであろうか。
争いを終わらせたいのであれば、相手が納得できる(少なくとも妥協できる)筋道を示さねばならぬ。
それができぬのであれば、争いつづけねばならぬ。
至極、当前のことだ。
経済的利害、宗教、思想、文化。個々の人々の条件は多様であり、全ての人が納得する回答などありよう筈もなく、人の世から争いが無くなることはないのかもしれぬ。
だが、対話によって「より多くの人が納得できる回答」を模索することで争いの数を減らすことはできるのではなかろうか。もちろん、そのためには対話に持ち込むための「現実的で達成可能な」条件を揃える事が必要だが。
今の世を見ると、問題解決のために対話を計るどころか、交渉で解決できる問題でも相手が呑めないような条件を出したり難癖をつけたりしている様子が目につく。最初から交渉の決裂を狙っているとしか思えない程だ。(こういうやり方もアメリカンスタンダードというものか)
拙者はそのような理不尽を力ずくで通そうとする現代の風潮を憂う。
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