拙者、三十郎と申す。電脳世界に情報としてのみ存在する人斬りでござる。拙者、臆病者ゆえ、こういう場でしか好きにものをいえぬ。実体が無いので実際に人を斬ることもできぬ。ここに書く文であるが、これはある種の笑いを狙ったものだ。拙者の「どこか間違った思い込み」を笑い飛ばしてもらえれば幸いでござる。
八月二八日 米国、やはり「北朝鮮問題」を解決する気無し
八月二五日 米国の軍事力行使は正しかったか?
八月二三日 国の借金をちゃらにする方法
八月二二日 税と社会保障
八月二一日 イラク泥沼化について
八月二十日 三十郎、日本の米国追従路線について思う
八月十九日 三十郎のミサイル防衛に対する意見
八月十八日 三十郎、自衛隊の新型DDH配備について思う
八月十三日 三十郎、イラク侵略戦争の整理をしてみる
八月十二日 三十郎、精神面からかつての戦争を語る
八月十二日 三十郎、政治面からかつての戦争を語る
八月十一日 三十郎、軍国主義の正当化について思う

二六六三年八月二八日 米国、やはり「北朝鮮問題」を解決する気無し

 なんというか報道の通りだな。
 米国は北朝鮮に対して、侵攻する意図も無ければ、政権交代を求めることも無い。日本人拉致に関しては日朝二国間で解決すべき問題だというわけだ。
 これは、米国が宣伝していた「大量破壊兵器の脅威」など所詮建前に過ぎなかったということが良く解る話でもあるな。
 つまるところ、こういうわけであろう。現時点での「北朝鮮問題」解決は米国の利益にはならないから放置するというわけだ。
 これでまた自衛隊派遣派が吹聴していた派遣の根拠が無くなったというわけだ。もう白紙撤回した方が良かろう。
 米国が行う「米国の利益を守るための戦争」に自衛隊を参加させて日本人の若者の命を犠牲にするようなことは馬鹿げている。
 拙者はそう思うでござるよ。

二六六三年八月二五日 米国の軍事力行使は正しかったか?

 結論からいえば、米国のイラク侵略は「誤ったメッセージ」を北朝鮮に送ってしまった。
 仮に米国が「いうことを聞かない相手に国連査察を受け入れさせるための恫喝手段」として軍事力を用い、相手が査察を受け入れている限り侵攻を行わなかったのであれば、「世界の警察」として軍事力を正しく用いたといえたであろう。
 だが、米国は、イラクが国連の査察を受け入れていたにもかかわらず、あの時点での国連の意向を無視し新たな決議無しにイラク侵略を行ってしまった。
 あれは大量破壊兵器査察という観点からは非常にまずいものだ。
 例え国連の査察を受け入れ「大量破壊兵器」と指摘されたものを破棄しようとも、米国の軍事侵攻を止める手だてにはならぬということを示してしまったからだ。
 これでは北朝鮮が態度を硬化させても仕方がないというもの。「査察を受け入れても無駄」ということだからな。
 ああいうことがあっては、査察の対象となりそうな国が公然と大量破壊兵器の開発を表明するのも自然な流れというもの。査察に応じて武装解除されてから叩きのめされるより、いっそのこと相手が侵攻を躊躇うほどの報復能力を持つ方が身の安全を図れると考えても仕方がなかろうからな。
 結局、米国の新たな決議無き軍事進攻は、国連の権威をコケにし、また国連査察の有効性を著しく下げてしまったということだ。ブリクス委員長が憮然とするのも仕方ないというもの。
(所詮「世界の警察」など自称に過ぎず、実際は国際社会の公益のためではなく、自国の国益のために動いているというのが現実といったところか)

 もっとも、このような事態の流れは現米国政権の思うところなのかもしれぬ。
 北朝鮮が態度を硬化させ、極東での緊張が高まれば高まるほど、米国は日本から協力的な態度を引き出しやすくなるからな。
 案外、米国は、それが日本を属国として有効活用するのに役立つ限り「北朝鮮問題」を解決する気はないかもしれぬ。だとしたら日本にとってはまっこと傍迷惑な話でござるな。

(まあ、なんだな。そもそも大量破壊兵器の脅威を建前とするなら、米国はまず北朝鮮に対して査察を求めるべきであった。開発能力も生産能力もイラクより上なのだから。いや、それは有り得ぬ話というものか。「悪の枢軸発言において北朝鮮を付け足したのはライス補佐官の口添えによるもの」ということは、既に一般メディアで広く報道された通り。つまり、北朝鮮は「文明の衝突」構造を避けるために付け足されただけで、当初は対象外であったわけだから)

二六六三年八月二三日 国の借金をちゃらにする方法

 この世には、よく知られた「国がしている借金をちゃらにする方法」がある。
 一つは革命などによる政権交代。もっとも、これは新政府が「旧政府の借金など無関係」と債務に応じぬ場合限定。
 一つは経済崩壊や「政策」などに伴うインフレ。ソ連自滅の際にはハイパーインフレでルーブル建て債権が紙切れ同然となった。

 これだけでは話が膨らまぬので例え話をしよう。

 ある所にメリケソ国という国があった。
 メリケソ国の通貨ダフーは国際通貨の一つで、メリケソ国はダフー建てで返済不可能な程の多額の借金をしておった。
 メリケソ国の借金は毎年雪だるま式に増えつつも、世界の人々はメリケソ国はそんな状態でこれからも永く続くと思っていた。
 だが、ある日、メリケソ国の経済は対外政策などの影響で急速に膨れ上がった借入金に耐え切れず崩壊してしまった。(密接な経済関係にあったいくつかの国の経済も連鎖崩壊)
 ダフーは一気に信用を失い価値は暴落。メリケソ国内はすさまじいインフレに見舞われることとなった。
 そうなったメリケソ国政府は一方的に新通貨への切り替えとダフー交換レート変更とダフー建て以外の対外債務の不履行を宣言。
 世界各国はメリケソ国の対応に不満を感じつつも、経済崩壊してもなお圧倒的な軍事力を持つメリケソ国政府のいうことに逆らえなかったという。

 さて、このメリケソ国経済自滅崩壊で被害を被ったのは誰であろう。
 答えは、メリケソ国債やメリケソ企業株といった資産を大量購入していた国や個人、経済がメリケソ国と連鎖して崩壊してしまった国の国民、そしてメリケソ国民。
 しかしながら、メリケソ国民でも事態を予測し予め資産を海外資産や固定資産に変えていた連中はさほど困らなかったということだ。その多くは政治家、高級官僚、及びそういった人々にコネを持つ資産家といった種類の人だったという。

 まあ、なんだな。つまらぬ例え話でござる。

二六六三年八月二二日 税と社会保障

 消費税増税や大企業減税が話題にのぼるたびに持ち出されるのが、日本と欧州の税制比較だ。
 曰く、日本の国民への税金は欧州に比べて安い、日本の企業税は欧州に比べて高い。
 本当にそうであろうか?
 拙者は現実的にはそうではないと見る。
 何故なら、欧州は国民への税金が高い代わりに手厚い社会保障という形でそれを国民に還元しておるし、企業にも社会保障料の負担を課しており、その額と合わせると企業からの徴収額は日本より安いとはとてもいえぬからだ。
 つまり、この比較は日本と欧州の構造の違いを無視したもので、とても正当とはいえぬということだな。
 欧州と比較するならば、日本では国費が異様に公共事業に回されておるし、社会保障は少ない上に削られる一方だ。
 これでは国民は将来が不安で仕方ない。老後の生活はとても国をあてにできぬからな。
 消費不況にしても、社会保障の手薄さによる将来への不安が可処分所得を消費でなく貯蓄に回しているというのが現実といったところだ。低中所得層への増税がこれに拍車をかける。
 これでは消費が伸びようわけもない。(高所得層を減税したところで、一つあれば足りるものを何個も買うというわけではない。日本の国内消費は、国民の大多数を占める低中所得層が一様に同じような製品を買うことにより支えられておったと見るのが正解であろう。低中所得層の購買力が落ちれば消費が減るのは当たり前のことだ)
 また、家族を扶養できるだけの収入を得るのが難しい社会では結婚も出産も減るのも自明というものだ。
 結局、大企業・高所得者優遇税制、低社会保障は、国民の大多数を占める低中所得層の負担を増やすことで、国内消費の減退と少子化を招き日本の首を絞めているということだな。
 このままではお先真っ暗としか思えぬでござるよ。

二六六三年八月二一日 イラク泥沼化について

 イラクは案の定、泥沼化し、米国の戦費負担は増える一方。このままでは下手をすると「ソ連にとってのアフガン」になりかねぬ。
 このままずるずると米国の横暴に基づく反米化と地方の軍閥支配化が進むと、ひょっとするとあの辺の地図がかき変わる事態になるかもしれぬな。
 もともとあの辺の国境線はかつて列強が中東を分割支配する際にお互いの都合で勝手に引いたもの。民族や宗教の分布といった実態に則したものではない。(ゆえにクルド人のように諸国に分割されてしまった民族もおるわけだ)
 もしかしたら数年後にはイラク北部を中心にクルディスタンなんて国ができておるかもしれぬぞ。
 あるいは、そのような事態が米国指導層の目的なのかもしれぬ。わざわざイラク国民の反感を買うような米軍の振る舞いは、中東を不安定化するための意図的なものなのかもしれぬからな。
 その心は間接的なイスラエル支援。
 なんてな。さすがにこれは穿ち過ぎというものか。
 なんにせよ、拙者としては一日も早くイラクの人々が自分たちの政府を樹立し誇りをもって暮らせる日が来ることを願うばかりでござる。

二六六三年八月二十日 三十郎、日本の米国追従路線について思う

 一部の者の間に小泉路線を正当化する考え方がある。
 善悪を抜きにして考えるのであれば、日本が米国の庇護の下で繁栄し続けるために米国に追従するのが正解だという考え方だ。
 もっともに感じられぬでもないが、拙者はそうは思わぬ。
 何故ならこの条件は、米国の繁栄が続き米国が世界中で軍事的に君臨しつづけ、且つ日本を重要視し続けることが前提となっておるからだ。
 このような前提、いつひっくり返るかしれぬというもの。
 繁栄はいつまでも続くものではないし、崩壊はある日突然やってくることが多い。世界大恐慌、ソ連の自滅崩壊、バブル崩壊。そのような(一般国民には)突然の崩壊は枚挙にいとまがない。
 米国にしても、何時かつてのソ連のように自滅崩壊するかしれぬというものだ。借金は膨らみつづけておるし、経済政策に苦しんでおるしな。(もっともこれは日本にしても他人事ではない。いや、日本の場合はさらに悲惨であろうな。食糧の備蓄にも食糧自給率にも欠ける日本は、経済が崩壊すれば、あっという間に飢えることとなる)
 米国の軍事政策が変わり米国が海外への展開を縮小する可能性もある。
 例えば、広く海外に軍事基地を持つ代わりとして採用が検討されている長航続距離超音速戦略爆撃機などによる戦術の変化や、財政悪化を理由とした軍縮に伴う在外米軍の縮小および廃止など。軍事政策は非常に不確定要素が大きく、とてもあてにはできぬ。
 軍事的、経済的な環境変化や政権交代に伴い米国政府が日本を重要視しなくなる可能性もある。
 現在のブッシュ政権は(日本の市場をカモとして見ている風情があるように見受けられるものの)確かに日本を重視しておるが、それが永久に続くというものでもない。
 というわけで、
・米国経済の崩壊に伴い庇護を失う可能性
・米国の軍事政策の変化により庇護を失う可能性
・政権交代などにより庇護を失う可能性
とおこりうる不安要素は少なくない。

 こういうわけであるから、拙者は善悪を抜きにしても米国追従路線は危険な選択と考える。
 やるにしても、一方では東南アジア諸国、インド、中東との関係改善と連携強化など、裏目に出た場合の保険をかけるべきであろう。
 なんにせよ現状を見る限り、拙者には日本が米国追従路線により米国と共倒れとなる道を歩んでいるようにしか見えぬ。

 国家として自立し、アジアや中東との連携をとり、新たな経済圏及び共同防衛圏を構築するのが日本が進むべき道と拙者は思う。
 現状まったくの夢物語だが、EUの歴史を見る限り不可能ではない。

二六六三年八月十九日 三十郎のミサイル防衛に対する意見

 色々と話題を呼ぶミサイル防衛であるが、拙者自身は絶対反対というわけではない。
 というのは、実現すれば世界的な軍縮につながる可能性がないわけではないからだ。
 ミサイル防衛は各種手段により弾道ミサイルなどによる攻撃を無力化するものだ。
 各種ミサイルの兵器としての有効性が減れば、当然それは削減対象となり、それにより軍縮が進む可能性がある。

 その一方でいくつか問題もある。
 弾道ミサイルなどを撃墜することは非常に困難という技術的問題に関しては人がいずれ解決するとして省き、拙者は運用面での大きな問題点を二つ指摘しよう。

・非現実的な量の弾道ミサイルを防御できるだけの性能が無いと飽和攻撃に耐え切れず、富める国どうしではさらなる軍拡を招く可能性がある。
・一部の富める国だけしか配備できぬのであれば、富める国と貧しい国の軍事的格差が拡大することとなり、軍事力を背景とした恫喝外交がより一層まかり通ることとなる可能性がある。

 前者に関しては、相互に相手を上回るように防御力の強化と攻撃力の強化を計る、あるいはひたすら相手の防御力を上回るように攻撃力の強化を計るという形でさらなる軍拡を招く可能性に対する指摘だ。ミサイル防衛はMAD理論のような相互破滅に裏づけされた均衡やさらなる軍拡の無意味さを崩す可能性がある。

 後者に関しては、この技術を独占的に所持する国は相手の先制攻撃を無力化できると同時に、相手の報復攻撃を無力化できるということによる、外交面での悪用の可能性に対する指摘だ。そして、高くつくシステムを導入できるのは富める国だけにほぼ限定される。
 場合によっては、ミサイル防衛はこの世を報復を恐れぬ一方的な戦争が展開される世界に変えてしまう危険性がある。

 ミサイル防衛を平和的に運用するには、国際的に中立な機関がその運用と配備を統括するということにでもしないと無理な気がする。そして、それは現状の国際社会では非常に困難だ。
 というわけで、拙者としてはミサイル防衛に絶対反対というわけではないが、世界中の国がこの技術の恩恵に与かれるのでもない限りとても賛成はできぬな。
 (もとより米国主導の現状には反対だ。技術独占の危険性が大きすぎる。日本は技術協力に条件をつけるべきであった)

二六六三年八月十八日 三十郎、自衛隊の新型DDH配備について思う

 先頃、非常に空母に似た形のヘリコプター搭載型護衛艦(DDH)の導入がほぼ確実となった。
 これに対して一部マスコミが先制攻撃用空母と騒ぎたてている。
 規準排水量13500トン、搭載ヘリ四機と空母としては小型過ぎるヘリ空母もどきに何を大袈裟なと拙者は思う。
 この規模の艦で航空機(固定翼)を運用して攻撃用に用いるならば、この艦に搭載可能なVTOL(垂直離着陸)機が必要となるが、その候補機となるような機体も今の日本には見当たらぬ。(そもそもVTOL機でも垂直離陸では搭載兵器数が大幅に制限されるてしまう。短距離離陸にしても、ハリアーの対地装備での離陸距離がおよそ300メートルであることから、必要な艦の大きさは推して知れるというもの。規準排水量的には軽空母といって差し支えないが、運用面でそのように扱えるかは別問題というものだ)
 これを12機搭載可能の攻撃用空母というのは、間違いと判っていて意図してそのように報道しているのならば憂うべき情報操作だ。
 対潜哨戒、掃海などの任務は長大なシーレーンを防衛する必要がある日本には必要不可欠なものだ。
 現状、通商ルートの防衛を米国に依存していることは対米依存度を上げている要因の一つでもある。
 このような艦の採用により自衛隊の防衛力が向上することは、日本の自立性を高める上で非常に喜ばしいことと拙者は思う。
 というわけでマスコミによるこのような報道は、よくあるこことはいえ、中立公平とはとてもいえぬものであり、非常に嘆かわしく感じられる。

二六六三年八月十三日 三十郎、イラク侵略戦争の整理をしてみる

 ここらで拙者なりの米国によるイラク侵略の解釈をまとめておこうと思う。
 拙者はその主要因は米国経済のための石油確保にあると見る。
 何故ならば米国が自国消費量のおよそ半分を依存する米国内油田の可採年数はあと数年しかないからだ。
 そしてイラクはもっとも簡単に増産が可能な国だ。経済制裁のために本来の産油能力に比べて僅かな量しか輸出できなかったからだ。
 米国が悪の枢軸と呼ぶ三国の中でイラクを最優先で侵略した理由が解るというものだ。
 純粋に大量破壊兵器の脅威を云々するなら、兵器輸出国である北朝鮮の方がイラクより遥かに脅威だ。
 実際問題、大量破壊兵器排除が真の目的では無いことは、侵略に当たり石油関連施設の確保を優先する一方、原子力施設は放置状態で略奪に任せていたことからもわかる。所詮、建前というものだ。
 道義的に考えれば、米国は来るべき石油不足に備えて省石油化や石油代替資源の開発などに励むべきなのだが、ブッシュ政権にはそれを期待できぬ。
 閣僚の出自を見ればわかるが、ブッシュ政権が石油業界と軍需産業の利益代表ということはほぼ間違いないからだ。
 ブッシュ政権にしてみれば石油代替資源への置換という石油業界の利に反するような行動は取れぬ。
 その一方で石油を国内需要に対して十分な量確保しなければ米国経済が傾いてしまう。軍需産業を養うためにも戦争が必要だ。
 つまり、イラク侵略はブッシュ政権にしてみればやむを得ぬ選択であったというわけだな。
 人とは自らの置かれた立場に反する行動はそうそう取れぬものだ。

 しかし、なんだな。
 資源を求めての侵略戦争、独立国とは名ばかりの属国支配、それを正当化するための「自由と民主主義」という建前、教育や翼賛メディアにおいては反対世論を打ち消すための愛国心演出、国民の方は侵略対象国の属国支配を「開放」と信じ込まされている。
 比較しては駄目な気がするが、今の米国の姿はかつての日本の姿と重なって見えてしまうでござるよ。

二六六三年八月十二日 三十郎、精神面からかつての戦争を語る

 日本はかつて侵略戦争を行ったが、日本がそのような道を歩んだ一番の理由とは何だったのであろうか。
 当時の政府の悪しき帝国主義に基づいた領土的野心。確かにそれもあろう。否定はできぬ。
 だが、拙者はもっと根源的な理由があると考える。
 それは「民族自決」の志だ。

 かつての日本の戦いは、欧米列強による植民地支配と侵略されたものの惨状を目の当たりにし、自国がそうならぬため、民族としての誇りを護るため、そのための戦いであったと拙者は思う。
 しかしながら、様々な事情を鑑みた上でも拙者は当時の日本の行動を正当化する気にはならぬ。
 その理由はというと、「自分がされて嫌なことは他人にもするな」、これにつきる。
 日本は欧米列強の植民地とならぬために欧米列強と同等以上の力を手に入れようとした。
 ここまではわかる。だが、その手段として日本は侵略と(植民地支配にとって代わる)属国支配という欧米列強と変わらぬ悪に手を染めてしまった。
 日本は自分がされまいとしたことを他国に対して行ったのだ。これだけはどのようにしても正当化し難い。
 だからといって、当時の国際情勢で日本が欧米列強と対抗する手段が他にあったのかと問われれば、拙者には答え難い。
 そもそも力が支配する国際社会においては論理の正当性など意味がないのかもしれぬ。

 ただいえることは、日本はもとから侵略国家であったわけではないということだ。
 開国以降、様々な因果の鎖でつながれた事象が日本をして侵略国家としたのだ。望む望まざるにかかわらずに。
 だが、いくら理屈を並べたところで、侵略を行ったという過去を変えることはできぬ。
 今を生きる拙者らにできることは、その因果の鎖を解きほぐし二度と同じような過ちを繰り返さぬことではなかろうか。
 かの大戦の犠牲者のために。そして今を生きる我々自身のために。

二六六三年八月十二日 三十郎、政治面からかつての戦争を語る

 先の大戦における日米戦争は米国の都合でおこされたものというのは、現在では米国の公文書を通して確認できる事実だ。
 だが、その一方で東亜戦争が日本の都合でおこされたものであるということもまた事実であろう。

 当時、日本は大きな問題をいくつも抱えておった。代表的なものをあげると以下のようになるだろう。
 一つは防衛上の問題。日本は大陸の近接島であり、慢性的に大陸の大国からの侵攻の脅威があった。
 一つは人口問題。開国以降、日本の人口は近代化に伴う生活環境改善により、数十年で二千万が四千万に、さらに数十年で七千万人といったように増加していた。当時、日本本土だけではこの急激な人口増加を支えきれず、農民一人当たりの農地面積は絶望的なほど少なく、街には失業者があふれていた。
 一つは経済問題。日本は鉱物資源が乏しく石油や鉱石などの一次資源を海外から確保せねばならなかった。

 日本の侵略戦争はこれらの問題を一気に解決できる手段であった。
 実際に為したことを見れば判るというものだ。
 大陸からの侵攻に備えて朝鮮半島北部や満州を莫大な国費を投じて重工業化した。
 侵略した大陸への移民*1を奨励した。
 太平洋戦争においては一次資源確保のために東南アジアに侵攻し、欧米列強の植民地から開放する一方で傀儡政権を建てて属国化した。

 こうして歴史を振り返ると大東亜共栄圏などという構想は拙者には建前にしか見えぬ。
 本音は日本の防衛上、人口上、そして経済上の問題で日本の国益の問題であり、それは日本にしてみれば必要なことであったが、他国から見れば自己中心的ととられても仕方のないことであった。
 国家や政治家とは本音と建前を使い分けるもの。日本も例外ではなかったということだ。

 所詮、国家間の戦争というものは国家と国家の利害もしくは宗教などの思想が衝突する所におこるものだ。
 この原則は江戸時代の武士でも知っておったし、それより遥か以前から普遍的な原則であった。
 翻って現代の日本を見てみると、似非愛国者は軍国主義を賞賛し、平和愛好家は戦争の原因追求を軍国主義批判だけで終わらせようとしている。
 拙者としてはかつての軍国主義を無理に正当化しても仕方が無いと思うし、軍国主義批判だけで思考停止していても仕方が無いと思う。
 為すべき事は、自国の歴史すら客観視した上での、当時の国際情勢とそこにおいて戦争が発生した仕組みへの理解であると思うからだ。
 国際社会に定着した歴史観を変えることは困難だが、歴史に学び行動すればより良い未来を作ることはできる。そうではなかろうか。

*1…当時、米国への移民は対日排斥によりかなわぬものとなっていた。これに関しては米国側が受け入れ難かった事情もなんとなく解る気がする。現代の日本が外国人への労働市場の開放に消極的なのに当てはめて考えてみるとな。その代わりに当時の米国は日本による満州の属国化と移民を黙認していた節がある。

二六六三年八月十一日 三十郎、軍国主義の正当化について思う

 世の中には奇特な人がいて、数々の美談をもってかつての軍国主義を正当化しようとするものがおる。
 拙者は国防のために軍隊が必要であることは主張するが、かつての日本の軍国主義を称える気にはならぬ。
 確かに美談に残るような見るべき人はおったし、拙者もそれを認めることにやぶさかではない。
 だがだ。全体としてみれば当時の軍はどうしようもない軍であった。

 軍とは本来、国民の生命と財産を護るための存在。しかしながら、当時の軍は組織維持のために国民を使い捨てにする軍上層部のための軍となっておった。
 歴史を少し調べてみれば当時の軍上層部の殆どが国民など赤紙一枚で招集できる使い捨ての部品程度にしか思っていなかったことがよくわかる。
 それだけではない。
 飛燕と彗星のエンジンの件*1をみてもわかるように軍内部で国益無視の対立をしておった。国民には「お国のための滅私奉公」を強いておきながら、自分たちは国費と生産能力を無駄に消耗しておったわけだ。お国の一大事より意地の張り合いの方が大事であったというわけでござるな。
 戦術においては防御を、戦略においては兵站を軽視し、それにより多くの兵が命を無駄に失った。
 国策においては対中戦争のように国力の範囲を越えて戦線を拡大して国家を疲弊させ、米国の介入を招き、日本に敗戦への道を歩ませた。
 こうしてみれば如何に美談で飾り立てようとも、組織全体で見れば当時の軍が体質的にどうしようもない存在であったということは明らかだな。
 とても正当化できるようなものではないと拙者は思うでござるよ。

*1…陸軍の戦闘機飛燕と海軍の攻撃機彗星は同じ形式のエンジンを陸軍と海軍が別々にドイツと交渉し、別々に料金を支払い、別々にライセンス生産し、別々に同様のトラブルに悩まされた。当時の軍首脳部が国益そっちのけで内部抗争に明け暮れていたことを示す有名なエピソードの一つ。
 これに限らず、当時の日本では部品一つとっても陸軍と海軍での互換性が殆ど無く、日本の限られた生産能力を無駄に消耗していた。また、その部品の精度も徴兵により工場から熟練工が失われることにより、低下する一方であった。
(日本兵器の性能は用途別に職人芸的に作られた部品に依存する面もあったが、本来は統一できる規格も多数あった)

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