七月三一日 三十郎、日本の謝罪について語る
七月三十日 三十郎、愛国心教育について語る
七月二三日 三十郎、米国を賛美してみる
七月十八日 三十郎、似非愛国者について語る
七月十四日 三十郎、バナナという表現について思う
七月十日 三十郎、資源の有限性について考える
七月三日 三十郎、日本のイラク支援のあり方について思う

二六六三年七月三一日 三十郎、日本の謝罪について語る

 夏でござるな。
 また日本政府要人の靖国参拝と中韓からの謝罪要求と戦争被害者の日本政府への賠償請求の季節がやってきおった。
 まあ、この件に関しては日本政府が断固とした対応を取らぬ方が悪いと拙者は思う。
 いい加減、謝らぬなら謝らぬ、謝るなら謝るとはっきりとするべきだ。
 物事を曖昧にして白黒をつけぬというのは日本の文化であると拙者は思うが、国際社会ではそれは通用せぬ。
 前者であれば既に過去に国家間の講和条約が成立しており、これ以上は謝罪も賠償も必要無いと突っぱねれば良い。
 後者であれば潔く謝って中韓政府に対し賠償金を支払い、以降、戦争被害者の国民レベルでの賠償は中韓政府に対して請求してもらうようにする。
 拙者としては後者をお勧めする。国際社会の受けも良かろうからな。
 その場合、賠償金の財源は中韓へのODA予算を削って出せば良かろう。
 なに、向うの政府は国民に日本から多額の資金をODAで提供されていることを知らせておらず、余程の知日派でなければそういうことは知らぬので、国民レベルでは特に問題は無い。
 要は出す金は同じだが、名目がODAから賠償金に代わるということだな。
 「これだけの賠償金をこれだけの年数に分けて支払います」とすれば国際的にけじめをつけられるし、謝罪代わりの援助金を際限なく支払い続けるより日本の財政にとっても良いというものだ。やり方次第ではODAのバックマージンにありついているものを炙り出すこともできそうだな。支払った賠償金をODAと同じ用途で使うか国民への賠償に回すかは向うの政府に決めてもらえば良い。これで国民レベルでの謝罪と賠償も手打ちだ。国際社会に対しても日本は戦争を反省してますよとアピールできる。
 そもそも借金財政の日本が多額のODAをばらまいているのは、元金持ちの人が借金をしてまでいい顔をし続けようとしているようなもので、みっともないことこの上ない。
 中韓向けのODAカットに関しては、財政上の理由でいくらでもいい訳ができると思うでござるよ。
 もともと一国の予算をどう使うかなどということは国家の主権に関わるもので、他国にどうこう言われる筋合いのものでもないしな。
 世の中には頭を下げて勝つ喧嘩というものもある。似たようなことは政治に対しても言えるのではなかろうか。もちろん、謝罪に当たっては誠意を持って行う必要はござるが。

 まあ、拙者としても上のような提案はほぼ無理と解っておる。ODA(日本企業への利益供給源も兼ねておる)を含め色々と複雑な事情が絡んでおるからな。その辺のことは胡散臭いことこの上ないが、国民自体がこの国の政治に対してもっと真剣に取り組むようにならぬ限り自浄作用は期待できぬ。
 この問題、後々の禍根を断つためにけじめをつける必要はあろうが、それには選挙を通してそれに相応しい政府を構築するという国民の姿勢が必要でござる。

二六六三年七月三十日 三十郎、愛国心教育について語る

 愛国心は大切なものでござる。人々の生活圏としての国を護る上でもっとも基本的な感情であるからだ。子供のうちからそれを教え込むというのは必要なことかもしれぬ。
 しかしながら拙者、今の方針での愛国心教育には反対でござる。

 拙者は愛国心を大きく二つに分類する。
 偏狭な国家的エゴイズムとしての愛国心と、国家という運命共同体における同胞意識としての愛国心でござる。(風土に対する愛情は愛郷心として分けて考えているでござるよ)
 前者はその裏返しがそのまま敵国民への敵愾心となるなど政府にとって利用しやすい人間を育てるための愛国心、後者は国家というものは一人一人がそれぞれの役割を担うことで成り立っていることを教え同胞を大切に思う心を育てるための愛国心。

 今の教育で植え込もうとしている愛国心は拙者には前者に見える。
 もっとも、自国をひたすら称え自国の過去の悪は教えぬという自国礼賛による国家的エゴイズム育成のための教育は、程度の差はあれ、ほとんどの国が行っていることでござる。
 ここまで教育から自国礼賛を廃しているのは日本くらいのものであろうな。そういう意味では日本は「普通の国」に近づこうとしておるのかもしれぬ。
 だが、拙者は日本の教育において自国礼賛が徹底的に廃されているのは、むしろ良いことと思っておる。
 おかげで自国の歴史を客観視でき、歴史を国家的エゴイズムという偏向フィルタを通して見ぬ人がそれなりに育っておるからな。*1

 今の政府のいうところのゆとり教育や愛国心教育というものは、国民を白痴化し「愛国心」を煽ることで簡単に誘導できるようにすることで、より政府にとってコントロールしやすい人間を育てるためのものであって、国民のためのものではないというように拙者には見える。
 まあ、今の政治家のほとんどは庶民の利益代表ではなく、大企業や財閥の利益代表ばかりなのでむべなるかなといったところか。
 国民のための政治などをもとから期待できぬのが今の政府だ。

 本来の愛国心教育というのは後者のような姿を取るべきであると思うが、今の政府においてそういう愛国心教育が為されるとは思わぬ。
 そういう愛国心を持つ人が忠誠を奉げる対象は政府ではないからだ。むしろ彼らは危険な存在になるやもしれぬ。今の政府のような国家と国民をきちんと護らぬような政府に対しては。

 拙者としては、後者の愛国心を拡大し運命共同体意識を(国家という枠を外し)地球全体規模にまで引き上げるのが人の進むべき道と思うのでござるが、人間の有り様を見るとそんなことは夢想に過ぎぬと思う。
 所詮、人間は人間でござるからな。

*1…残念なことに歴史関係の教科書は色々制約があって真実でも書けぬことが多いようで、読んでいて著者の苦労が偲ばれる。このため歴史の因果関係による繋がりが悪く、歴史教育はただの暗記物の傾向が強い。実際は歴史とは様々な事象が因果関係を持って繋がっているもので、そういう繋がりを追っていく方が記憶しやすい。かつて日本は侵略戦争を行ったが、日本は元から侵略国家であったわけではない。少し歴史を調べてみれば開国以降様々な因果が繋がって侵略国家への道を歩まざるを得なかったことが判る。だが、東京裁判史観では当時の日本を絶対悪とせねばならぬので、連合国の占領政策上、歴史教科書においてその辺の記述がなされることはほとんど無い。当時の日本の侵略は当時の国際慣行に則ったものであった。これを悪と裁くならば、メキシコ侵略やハワイ併合を行った米国も同様に悪と裁かねばならぬな。とりあえず当時には当時の価値観があったわけで、それを現代の価値観で裁くというのは不当というものかもしれぬ。ただ、どんな時代であれ侵略されるのは嫌なものであろうな。

二六六三年七月二三日 三十郎、米国を賛美してみる

 何やら拙者が米国を批判するのは拙者が反米だからと思う者がおるようだ。
 心外なことでござる。
 拙者、別に米国が嫌いだからこういうことを書いているのではない。単に米国の為すことがあまりにも目に見えて悪どいので、そのまま書くとどうしても米国に対して批判的になってしまうだけでござる。
 そこで今回は拙者がいかに米国が大スキーであるかを綴ろうと思う。

 米国は実に素晴らしい。何故ならば自らが憎まれ役を買って出ることで、世界に国際社会における協調の重要性を示しておるからだ。
 EUにおいては崩壊しない程度にEU諸国の連携に揺さ振りをかけることで、反米を煽り却ってEU諸国の連携を強め、アジアにおいては北朝鮮有事をちらつかせることで、とばっちりを恐れる日中韓がお互いの反目を乗り越えて協調せざるを得ない状況を作り出しておる。
 このようなこと、普通の国にはできぬ。
 まさしく、その圧倒的な軍事力で世界に暴君として君臨できる米国にのみ可能なことでござる。
 政権に取り揃えておる役者も見事だ。
 国際会議における独仏へのシカトぶりなど、実に心憎い演出をさらっとやってのける名優揃いでござる。
 ラムズフェルドなどは反感を植えつけるのに巧みな千両役者といわざるをえまい。あの暴言と瞬間湯沸器ぶりは演技とは思えぬほど迫真に迫っておる。チェイニーといい、パウエルといい、米国はまったくもって見事な役者を揃えておるものだ。
 残念なのはブッシュ大統領が大根役者といったところか。いやいや、あの天然ぶりがいいという人もおるのだから、実は狙った配役なのかもしれぬ。しかし、まあなんだ。ブッシュ大統領の言動を見ておると、拙者、大統領がジンクス*1に従って(「自殺」などとして処理されて)政治的暗殺されぬか心配になるでござるよ。
 うむ、せっかく米国が世界共通の脅威という憎まれ役を演じてみせることで、国際社会に協調の重要性を説いておるのだから、その他の国家の首脳はその心を汲み取って国際的な連携機構の構築に勤めるべきでござるな。
 それが米国の行いに報いることというものだ。

 さて、これだけ書けば米国をアメリカ様と崇拝する米国信者の者どもにも、いかに拙者が米国が大スキーであるか理解していただけると思う。

 冗談はさておき、日本政府はこの世界的な反米化という時流を利用してアジアやEUとの連携を強めるくらいのしたたかさを持つべきと思うでござるよ。
 もっとも、日本には国際社会の機微を読み取ってそのようなことができる「並みの政治家」さえおらぬようなので無理な話かもしれぬ。
 まったくもって困ったことでござる。

*1…西暦の末尾に0がつく年に即位した大統領は任期中に死ぬという米国のジンクス。

二六六三年七月十八日 三十郎、似非愛国者について語る

 世の中には愛国者をかたりながら、その実は日本の国益に反することを(日本の国益に反すると自覚しながら)行っている者たちがおる。
 拙者は彼らを似非愛国者と呼ぶ。

 拙者の見る限り、彼奴らは大きく二種類に分けられる。
 一つは日本を米国の手先として戦争のできる国に変えようとしておる連中。
 一つは愛国者を装いながら迷惑行為を働くことで愛国者全体を貶める連中。

 おそらく両者は支援団体が違うのであろうが、どちらも真の日本の自主独立の妨げとなっておる。
 いかに正論をもって国防の大切さや日本が国際社会において果たすべき役割を説こうとも、事ある毎に彼奴らがつまらぬことをしでかして台無しにしくさりおる。
 拙者は思う。
 味方を装った敵ほどやっかいなものはないとな。

 拙者には「平和愛好家」も「似非愛国者」も、「分割して統治せよ」の原則に従って日本を支配せんとしている連中の手先なのではないかと思えてならぬ。
 あたかも役割分担しているかのように、各々が日本のためにならぬ行動を取っておるからでござる。

二六六三年七月十四日 三十郎、バナナという表現について思う

 旅行から帰ってきた知人が「日本人はバナナだ」という表現に喜んでおった。
 要は「日本人は外見は黄色(人種)だが、中身は白色(人種)」ということを表現するための比喩なのでござるが、拙者、そういう話を聞いて悲しくなった。
 拙者としてはこういう表現に非常に侮蔑的なものを感じるし、そのように名誉白人として扱われても無意味と思う。
 しかしながら、彼女の白人崇拝ぶりを見れば彼女が喜ぶわけは解るので、あえてどうこう言う気もおきずその話は聞き流してしまった。そして、今、聞き流してしまったことを悔いておる。

 拙者は思う。
 維新から太平洋戦争敗戦までのかつての日本の戦いは、人を人と思わぬ欧米列強の植民地支配に対して、植民地とならぬための戦いであり、人間としての尊厳を護るための戦いという面が確かにあったのではないかと。
 第一次世界大戦後、当時の国連に人種差別の撤廃を提案した日本は、多くの差別に苦しむ有色人種の希望ではなかったのかと。

 そんな日本の人種差別への戦いは、日本人が名誉白人として扱われればおしまいなのか?
 拙者はそうではないと思う。
 むしろ、日本は人種や国籍によるくだらない差別を無くすことに勤めるべきでござる。
 それが護国のために犠牲となった人々の魂に報い、祖先の志を継ぐことだと拙者は思う。

二六六三年七月十日 三十郎、資源の有限性について考える

 地球は有限であり、地球で採れる資源も有限でござる。
 人類が地表に縛られておる限り、無限の成長などできはせぬ。
 人類が現在のような資源の大量消費を続けるのであれば、現代文明の将来に待ち受けるのは破滅のみでござる。

 現代文明は浪費ともいえる資源の大量消費で成り立っておる。
 現代文明を支える代表的な資源。それは石油でござる。
 石油はエネルギー源というだけではない。工業製品に欠かせないプラスチックや合成ゴムなどの原材料であり、飛躍的な農産物収穫量の増大を成し遂げた化学肥料の原料でもある。
 もし、石油が不足すればどうなるであろう?
 経済や産業が止まるのは言わずもがな、いずれは大規模な食糧不足となる。

 では、石油は後どのくらいの間、現代文明を支えることができるのであろうか?
 現在確認される世界の石油の可採埋蔵量はおよそ九千億バレル。未発見の埋蔵量がおよそ五千億バレルと推測される。
 それに対して世界の年間石油消費量は二百数十億バレル。将来の成長分を控えめに盛り込んで、仮に二百五十億バレルとしておこうか。
 単純計算で五十六年。
 人類は後五十六年で未発見分を含めて地球の石油を使い果たしてしまうということとなる。

 もちろん、これは単純計算に過ぎぬ。実際は油田ごとに埋蔵量と生産量。そしてそれらから計算される可採年数がある。
 現実は可採年数の少ない油田から順に石油が枯渇し、それにあわせて石油の生産量が徐々に下がっていくこととなる。
 つまり、石油の生産量が需要量を満たさなくなる時代が来るということだ。
 アジアなどの発展途上国の需要量急増がそれを後押しするであろう。

 石油の需要量が生産量を上回り、世界的に石油が不足する時代。
 それは数十年ではなく、僅か数年で到来する可能性がある。
 いくつかの生産量が多い油田が枯渇するだけで世界はそのような状態となるのだ。
 その一例として石油の最大消費国である米国を取り上げて説明してみよう。

 米国は現在、自国の石油需要の凡そ半分を自国産のもので賄っておる。
 その生産量は多く、少々古いデータだが、西暦1998年で一日あたり624万バーレル。これは世界第三位であり、世界の総生産量の9.6%を占める。対して、石油埋蔵量で占める割合は2%に過ぎぬ。
 これは米国の油田の規模を考えればかなりの乱掘と拙者には見える。果たして米国の油田の可採年数は残りどれくらいなのであろう?
 そこでサウジアラビアと比較しておよその値を計算してみた。
 サウジアラビアは一日あたりの生産量が828万バーレル(総生産量に占める割合は12.7%で世界第一位)。石油埋蔵量で占める割合は25%で、可採年数は87年。
 これらのデータから単純に計算してみると、米国の可採年数は87*2/25*828/624=9.2年(小数点第二位四捨五入)。
 つまり、西暦1998年から9年少しで米国の油田は枯渇するということとなる。*1
 この計算結果から、数年のうちに米国で油田のいくつかが枯渇し、米国の石油生産量が激減する可能性が極めて高いといえる。
 米国はそうなれば石油輸入量を急激に増やさざるをえまい。
 当然ながら世界の石油の需給バランスは大きく変動し、おそらくは需要量が生産量を上回ることとなる。

(米国のアフガン侵攻、イラク侵略、そして、先日のイランの油田開発への日本の資金提供に文句をつけてきた件の理由もそういったところかもしれぬ。米国は、そういう将来に予測される世界的な石油不足に備えて、中東の石油全てを自らの支配下に置きたいのかもしれぬな。何せ、中東の石油埋蔵量は世界で確認されている埋蔵量のおよそ三分の一もある。)

 石油は現在は潤沢でも将来は不足するのが確実な資源でござる。
 不足すれば、そのときは価格が高沸し、各国間で経済を維持するための石油の奪い合いが展開されるであろう。
 人類が石油に代わる資源への移行をせぬ限り、石油を巡る戦争が発生しうるというわけでござる。

 思えば二十世紀は、技術の進歩に伴う急激な人口増と産業の発展に伴う「土地と資源を求めての戦争の世紀」であった。
 そして現代、石油の枯渇が統計的なデータから確実に予測される時代となった。
 人類が石油に代わる資源への移行をせぬ限り、二十一世紀が「石油を巡っての戦争の世紀」になることは想像に難くない。

 現代の世界に平和をもたらす一番の方法は、石油に代わる資源を開発し、普及させることかもしれぬな。

*1…これに関して、財団法人中東協力センターに「石油・天然ガスの生産量と埋蔵量」という文書があった。
 それによると、米国、ノルウェー、英国の可採年数が西暦1998年時点で十年以下であったことがわかる。
 また、今後の石油の供給源は中東地域に限定され、北米及びアジア地域の多くの国が中東地域の原油獲得競争を繰り広げる可能性についても示唆されている。

二六六三年七月三日 三十郎、日本のイラク支援のあり方について思う

 数々の問題点が指摘されながらもイラク特措法が強硬採決されようとしておる。
 指摘された問題に対する自民党の答弁は歯切れの悪いものばかりだ。
 にも関わらず自民党はそういう点を改めること無くこの法案を通すつもりのようだ。
 これは米国からその傀儡の自民党に「自衛隊に米軍の軍事支援をやらせる」ということで指示がなされていると見るべきかな。
 自民党に対する一応の見返りはイラクの復興及び石油利権の分け前といったところか。
 利益追求は、まあ理解できる。人間の性としてはな。だが、道義的にまったく支持できぬ。

 米国を支持するものの中には、利権に関係なくとも「よらば大樹のかげ」、「勝ち馬に乗る」という主体性の無い考え方の者もおろう。だが、その者たちはそれをやることで日本も米国と同様、世界から嫌われる道を歩むことの危険性については考えたのであろうか。
 米国は嫌われても開き直れる国力と地理条件に恵まれた国だが、日本は地理条件的に他国との交易無しには立ち行かぬ国なのだ。
 米国のいいなりとなって中東との日本独自の交易ラインを失うことは日本の国家安全保障にも関わってくる重要な問題といえよう。

 法案を見れば解る通り、イラク特措法の本質はイラク国民のための復興支援などではない。自衛隊に占領軍である米英軍の兵站任務を行わせることである。
 兵站は後方支援とはいっても戦争行為だ。これで日本は侵略戦争に手を貸すというわけだな。
 拙者、このような支援はごめんでござる。徒にイラク国民の憎しみを買うようなものだ。それだけでなく、日本のこのような対応は親日国が多い中東の国民に不安と絶望と新たな憎しみを植えつける可能性が高い。

 拙者、イラクに対して支援を行うのならば、イラク国民に対する人道支援に限るべきだと思う。水も食糧も不足しているのは、米国によって生活を破壊されているイラク国民の方だからでござる。
 食糧、水、医薬品の提供、医師や看護師の派遣、診療所の開設。もし自衛隊を派遣するなら、その任務はそういう人道支援現場の警護に限るものとし、米英軍の支援は行わない。
 イラク国民にとっては、そのような支援こそ望ましいのではなかろうか。
 対して、今、日本が行おうとしているのは侵略者である米国を支援し、それにより米国から僅かばかりのおこぼれを貰おうという国益外交だ。
 拙者はやるせない。
 国益外交は、それを見透かされれば嫌われる。日本は今、その手本を示している国にわざわざ手を貸そうとしておるのだ。

戻る