六月三十日 三十郎、イラクにおける抵抗について語る
六月二三日 三十郎、ジェシカ・リンチ救出劇について語る
六月二十日 三十郎、石油について思う
六月十七日 三十郎、国家戦略について思う
六月十三日 三十郎、兵器の出所について思う
六月十二日 三十郎、日本の位置について思う
六月六日 三十郎、侵略戦争について語る
六月五日 三十郎、平和愛好家について語る
六月三日 三十郎、バブリーな世界を語る

二六六三年六月三十日 三十郎、イラクにおける抵抗について語る

 毎日のように米英軍兵士の死亡について報道がなされておる。
 報道では、これは親フセイン勢力残党の活動であり、フセインが捕縛されるなりすれば収まるだろうとなっておるが、拙者はこれが的を射ているとは思わない。

 報道の限り、多くのイラク国民は米軍がフセインを排除してくれたことには感謝しておる。その一方で米軍の占領継続には嫌悪を示している。
 彼らの米軍を見る目は冷ややかなものだ。
 拙者、現在の米軍へのイラク武装勢力の攻撃は、米国の不当な占領に対する抵抗活動と見た方が良いと思う。
 例えるなら、第二次世界大戦におけるナチスドイツによる占領に対するレジスタンスのようなものかな。
 占領され政府が崩壊した国の国民が、自国を取り戻すためにゲリラ戦を展開しておるというわけだ。

 ゆえに、この抵抗活動はフセインが捕縛されようとも収束することはなかろう。
 米英軍が撤退するなり、イラク国民の意に添う政府を樹立しない限りな。
 当然、そのようなことは米国首脳も判っておるだろう。ただ自国民に対して正義を建前にしている以上、報道で自国が不当な占領を行って抵抗にあっておることを認めるわけにはいかんというところか。

 ある意味、件の報道はフセインが捕縛されるなりするまでに抵抗勢力を鎮圧するということかもしれぬな。
 そして、そういうイベントは将来において十分ありうるであろう。もしかしたら「大量破壊兵器」まで発見されるやもしれぬ。
 議会制民主主義制度をとる国家において、選挙にあわせて政治的イベントが用意されるというのは良くあることだ。

 まあ、とにかくイラクでは未だに激しい抵抗活動が全土で続いており、米軍司令官自体がそれを認めておるわけだから、自衛隊のイラクへの派遣はさっさととりやめにした方が良いと思う。
 イラク国民の意思を無視しているイラク特措法による自衛隊派遣は、国費を使ってわざわざ嫌われに行くようなもので、派遣される自衛隊員が不憫でならない。これで死のうものなら無駄死にというものだ。
 イラク特措法の実体は米国の意向によるイラク占領支援法。米国の傀儡政党である自民党が政権を握っている限り、日本は親日国が多い中東から嫌われる道をまっしぐらというわけだ。まったく困ったものでござる。

二六六三年六月二三日 三十郎、ジェシカ・リンチ救出劇について語る

 ようやく「ジェシカ・リンチの救出劇が演出されたやらせではないか」という報道が一般メディアに流れた。
 まあ、耳聡い人間にとっては「何を今更な」という感じの報道なのだが、まがりなりにも一般メディアに流れたということは評価に値する。これで「油まみれの水鳥(捏造)」、「イラク兵が赤子を保育器より放り出していた(虚言)」などに続いて、またアメリカのブラックプロパガンダが公のものとなったわけだ。
 まったく、そういうことをやればやるほど信用を無くすということをいい加減に学習すべきだな米国は。このように嘘に嘘を塗り重ねていれば、世界中の嫌われ者になっても文句を言えぬと思うのだが。というか、案外、世界の嫌われ者になるのが目的かもしれぬな。

 さて、何故これが「耳聡い人間にはやらせだと判っていた」かということについて説明しよう。
 ジェシカ・リンチの救出劇は派手に持ち上げられ、映画化の話も持ち上がっている。
 その一方でこのネットの時代、jessicalynch.com、jessicalynch.net、jessicalynch.orgといったジェシカ・リンチに関わるドメイン名もそうそうにおさえられておる。
 問題はその登録された日付だ。
 comは2000年4月28日、netとorgは2003年3月17日に作製されているのだ。

 参考までにwhoisによるドメイン情報。jessicalynch.comjessicalynch.netjessicalynch.org

 comはさておき、netとorgの3月17日といえばイラク侵略前。どのドメインも確保されているだけで使われている様子はない。はて、なんのために確保したのかな?一般的な名前でもなければ、個人が使っているわけでもない。(その時点では)著名人の名前ではないし、例の救出劇が無ければさして使い道のあるドメイン名ではない。消去法で「事前情報があった」くらいしか残らんな。やれやれ、これはジェシカ・リンチが捕まるところから救出されるところまで、事前に計画されていたということか。
 comの登録の日付を見てみると一連の事件からイラク侵略にかけて、当の昔に青写真が出来上がっていたのやもしれぬな。つまり、米国がいつもの通り国家戦略の実現に向けて様々な計画を実行したということか。
 拙者としてはこれを契機にウォーターゲート並みの祭りになってくれたら楽しいと思うのだが、どんなものだろう。思えば、あれも小さな事件から始まったのだ。

 当のジェシカ・リンチであるが、捕まってから救出されるまでの記憶は今は無いという。人は記憶を強いショックのために失うこともあるが、これは余計なことをしゃべらないように口封じされていると考えた方が自然かな。

 うむ、「(プロパガンダを)プロパガンダと判らない人には(国際情勢を読み解くのは)難しい」
 判っても結構むずかしいものだがな。なかなか、こうした実際に提示できる証拠のあるものは少ないから、どうしても仮説の域を出ぬものばかりだ。

二六六三年六月二十日 三十郎、石油について思う

 ある者が言った。米国の石油輸入は中東や中央アジアに殆ど依存していないから、中東や中央アジアを侵略することに(石油に関しては)戦略的意味は無いとな。だが、これはあまり的を射ていない。

 確かにそうだ。米国は現在、中東や中央アジアから直接石油を輸入している量は少ない。イラクから直接輸入していた量は総輸入量の5%程度と微々たるものだ。
 米国が主にどこから石油を輸入しているかというと、カナダ、メキシコ、ベネズエラ、サウジアラビア、ロシアからとかとなる。特にロシアからの輸入量は中東からの輸入量減少に伴う不足分を補う形で急激に伸びておる。
 では、ロシアの石油はどこからかというと、当然自国産出分だけで足りるわけもなく、中東や中央アジアから輸入しておるわけだ。
 つまり、一見米国の石油輸入は中東や中央アジアにさして依存していないように見えるが、実際は中東や中央アジアに間接的に結構な量を依存しているということだな。

 これを如実に示す話がある。数年前、イラクが石油の禁輸措置をとったときの話だ。それだけで原油相場は一気に30ドルを越え、相場を抑えるために、ときの大統領クリントンは米国の戦略備蓄分の石油を放出せねばならぬほどであった。*1
 比率上は少なく見えるイラク一国の禁輸でも米国市場に与える影響は大きいということだ。

(相場を見て得られる教訓はというと、「市場は過剰に反応する」ということでござるな。まあ、拙者に言わせれば、投機などという金融資本主義の悪習には手を出さぬ方が良い。確実に儲けられる人間というのは相場を操るためのイベントや偽情報を繰り出せる人間と、そういった人間の考えを読める人間だけでござるからな。もっとも、リスク*2を恐れぬのなら挑戦するのは自由でござる。)

 そして、もう一つ。
 米国は石油の国内総需要のおよそ半分を自国で産出される石油で賄っておるが、これにも限界がある。
 資源は無限にあるわけではない、乱費しておればいずれは使い尽くす。
 となれば、不足分をなんとかして賄わねばならぬ。
 消費を抑える気が無いのなら外国から輸入するなり分捕るなりせねばならぬな。
 そういうことだ。

 こういう状況であるから、米国が石油を売り値の高い国から買ったり、ロシアを通して間接的に買うより、中東や中央アジアを支配して直接入手しようと思い、そのためにそこを自分の支配地域にしようとすることは十分に考えられるな。
 足りなくなってから分捕りに行くようでは侵略戦争であることがまるわかりだし、使えるようになるまでの時間を持たすのも大変だ。長期的な視点に立てば、予め分捕っておいて、足りなくなる前に支配を完成させておいた方が良かろう。
 頭ごなしに否定するような考えではないな。道義というものを除けばだが。

 産業の基幹を成す石油を確保することは、相場など無関係に、非常に戦略的価値が高い。
 まあ、そういうことでござる。

*1…どこぞのバイアスのかかった情報を流すメディアでは、この30ドルの相場を規準に2001年秋の相場と比べて、相場がこんなに急激に下がったのに石油のために戦争することなど有り得ないとほざいていた。ああいうのは自分の望む結果を導き出すために統計データの一部を切り取ってきているだけのものだ。実際は23ドル前後の相場というのはOPECのおよその希望価格であり、輸入国にとってはまだ値上がりした価格だ。それ以前は15ドル程度だったのだからな。そもそも、輸入国にとって大事なのは、相場よりも石油が足りるか足りないかの方であろう。足りなければ産業がその分、止まるわけだからな。

*2…OPECの設立を言い出したのはイラクだが、新生イラク政府がOPECに参加するとは限らない。石油埋蔵量2位のイラクが抜けることにより、今後OPECの市場影響力が下がることが予想される。その一方で、米国は中央アジアとイラクの石油をその手の内に収めつつある。つまり石油相場の今後は米国の意向次第になる可能性が高いということだ。米国胴元のギャンブルということだな。

二六六三年六月十七日 三十郎、国家戦略について思う

 自民党自らがイラク特措法案から大量破壊兵器処理支援活動を削除してしまい、拍子抜けしている今日この頃でござる。
 これは何かな?イラクに大量破壊兵器なぞ無いということを自民党自らが認めたということでござろうか?あるいは証拠捏造に関わるリスクを事前に避けたということかな?
 自分でも穿った見方というのは解っておる。しかし、どのような経緯で引っ込めたのか納得のいく回答が欲しいものだ。

 それはさておき、拙者にしてみればおかしなことをいう人達がいるので、それについて触れてみたい。
 世の中には、イラク侵略戦争の目的の一つは石油だという人にムキになって反論する人達がいる。
 理由はというと、現在、石油は供給過剰であり、わざわざ石油のために侵略する必要は無いというわけだ。

 確かにそうだ。現状では石油は需要より供給能力の方が高く、価格釣り上げのためには産油国が協調して減産する必要がある。
 しかしだ。中国や東南アジアなど高い率で経済成長を続けている国は、それに伴い石油の消費量が増えており、このままでは数年後には石油の需要は供給量を上回る。
 そうなれば、供給不足に応じて石油価格は上がり、不足する分、経済が止まる。
 つまり、このままでは数年後には石油不足になる時代が来るということだ。
 そうなった際に困らないように、今のうちから産油国を抑えておくというのも選択肢の一つであろう。

(他には「石油消費量が増えている国の経済成長を抑え込む」とかいうのもありだな。そういう意味ではSARSは「随分とタイミング良く」中国の経済成長を抑え込むのに「役立った」ものだ。もし、これが人為的に引き起こされたものであれば、非人道的な酷い話でござる。)

 そういう観点から見ると、(中央アジアからのパイプライン経由地として重要な)アフガニスタン侵攻*1にしても(世界第二位の埋蔵量と推測される)イラク侵略にしても、米国の行動は数年後に予測される石油の供給不足に備えた長期的な国家戦略に基づいたものと考えることができる。
 目的の一つ*2としては十分有力でござるな。

 そもそも、国家戦略とは目先の利益に釣られて立てるものではない。長期的に先を見る観点が必要なものだ。
 いくら石油が目的では無いと主張しても、米軍が侵略に伴いまず油田の確保に走り、バグダッドにおいては石油省の警備を重視したことを考えれば、詮索する必要も無いことだ。
 事実は雄弁なものでござるな。

*1…米軍がまともに動く場合、その準備期間に数箇月は必要となる。そして、アフガニスタン侵攻の戦争準備は911事件の数箇月前から行われていた。つまり、もとからアフガニスタンを軍事的に制圧する計画があったわけだ。911事件はその口実となるのに「実に都合の良いタイミングで」おこったものだ。「ケニアとタンザニアで起きたアメリカ大使館同時爆破事件の犯人」の裁判日が9月12日であったのも「できすぎた偶然」と拙者は思う。

*2…他の目的としては、様々な識者が指摘するように、「軍需産業への利益供給のため」(米国はその膨大な国家予算のおよそ四分の一を軍事費に注ぎ込んでおり、それに応じて巨大な米軍需産業の政治的影響力は非常に大きい)、「国際通貨のユーロ化への牽制」(「ドルを輸出」することで持っているような米経済には死活問題だ。英国のユーロ不参入もこの辺が絡んでいる可能性がある)など。

二六六三年六月十三日 三十郎、兵器の出所について思う

 繰り返されるパレスチナとイスラエルでの報復爆弾テロと報復攻撃。
 和平への道が遠のくということで、一部の過激な連中を除けば迷惑な話だな。
 対してイスラエルの過激なまでシオニズムに染まった連中はロードマップの実現など望んでいないから、渡りに船といったところか。
 拙者、こういうことがおこるたびに思う。そもそもこういう爆弾テロに使われる爆薬はいったいどこからのものなのだろうとな。
 火薬自体は硫黄と硝石など原材料さえ手に入れば簡単な施設で作れるが、パレスチナではそういう原材料を簡単に入手できるのか?使われたのがプラスチック爆弾であるならば高度な化学合成が必要だし、これも簡単に入手できるとは思わぬ。
 つまり、誰かが支援して爆弾テロに用いる爆薬を工面しているわけで、爆弾テロを防ぎたいのであれば、その支援している誰かを叩いて流れを基から断たねばならぬというわけだ。
 本気で防ぎたいのであれば、駒を責めても仕方がない。駒を使うものを追求せんといかんだろう。
 で、実際に追求してみたら一般常識的には意外な所が支援していたりしてな。まあ、使えるものは敵でも使う。それが世の中というものだ。

(拙者、もしかしたらイスラエルもエジプト経由で間接的にパレスチナのテロリストを支援しているかもしれぬと思う。理由は、シオニストにとっても都合が悪い和平交渉を潰すため、なんてな。まあ、現実的には大概の資金源はサウジアラビアからとかだろうな)

 それにしてもなんだな。兵器に関しては製造者の責任を取れぬものだろうか?
 クラスター爆弾は大量の不発弾を残し、それに触れた民間人が多数犠牲になっておる。米国が健康被害を否定している劣化ウラン弾にしても、その化学毒性までは否定できまい。
 このような兵器を使われた国は傷病者を養うための負担を強いられ、使う側もそういう負担を相手に生じさせるために使っておる。(子供を標的とした玩具形の殺傷性の低い地雷などが、その最たる例だな。)
 意図からして民間人を標的としておるわけだ。このような兵器の製造者に対して民間人傷病者に対する賠償、終戦後の不発弾処理と汚染地域の洗浄などを課すことができるようになれば、作られる「兵器の質」もまた変わってくるのではないであろうか。
 まったくの理想論だがな。

 インドネシアでの爆弾テロで使われたのは米国製の高性能プラスチック爆弾と聞いた。
 拙者、米国の兵器がこのようにテロ組織の手に渡っている以上、米国に他国の武器輸出を責める権利は無いと思う。
 米国の言う大量破壊兵器でなくとも大量に人を殺すことはできるし、それで殺された人にしてみれば死んだことには変わりない。他所に文句を言う前に、まず自らの襟元を正すべきだ。

 イラク侵略戦争の口実は「大量破壊兵器がテロ組織にわたる危険性」であったが、その存在のあるなしに関わらず、そもそも米国には果たしてそのようなことを主張する権利があるのであろうか?

(アルカイダのときも病院で炭疽菌培養とか毒ガスサリンとかで騒いでおったな。炭疽菌は培養は簡単でも兵器化するには凍結乾燥(フリーズドライ)などを可能にする大掛かりの施設が必要だし、サリンなどの毒ガスにしても換気や無毒化などを可能とする大掛かりな施設が必要だ。そんなものアフガニスタンにあったのか?恐怖を煽って大衆を誘導するための、あまりにも見え透いたプロパガンダだ。)

 米国では炭疽菌を封入した手紙によるテロが行われておったな。
 「アラーイズグレート」などと書かれた手紙(本当にイスラム教徒ならアラーアクバルと書くのが正しい)と米国の研究所でなければ作れないような微粒な炭疽菌粉末、そしてその炭疽菌株の種類などから、犯人はおそらく米国国内犯で、菌は米国の研究所から流出したものと報道された。

(疑り深い拙者としては、これはマスコミへの恫喝と国民に不安感を植えつけることを目的に行われた可能性があると思う。誰がといえば、それはテロに対する恐怖で国民を誘導しやすい状態におきたい連中だ。恐怖と怒りで大衆は簡単に煽動されるからな。本当に悪意を持ったテロ犯人が炭疽菌粉末を用いて大量殺戮を行いたいならば、ビルや地下街の空調施設に散布した方が手っ取り早い。手紙などという効率の悪い手段を使う必要はないのだ。つまり、目的は殺戮ではなく恫喝としか思えぬというわけだ)

 仮に公の報道通りとすれば、「米国の研究所の管理体制は杜撰で生物兵器が容易にテロ組織の手に渡りうる」ということだ。
 これは危険で仕方がない。まさしく「大量破壊兵器がテロ組織の手にわたる危険性」がある。
 というわけで、米国には積極的に自ら大量破壊兵器を破棄してもらいたいものだ。
 拙者、臆病者なので米国から流出した大量破壊兵器でテロが行われたりしたらなどと不安で仕方がない。

 追記:イラク特措法案には自衛隊による大量破壊兵器処理の支援活動も盛りこまれている。これは、言い換えれば日本も大量破壊兵器の捜索に協力するということだ。やめておいた方が良いと拙者は思う。
 これは単に米英が自分たちがすっかり国際社会から信用を無くしたので「証拠」を日本に見つけさせようとしているだけではないのか?拙者、自衛隊の能力を過小評価したりせぬが、「ノウハウを蓄積した国連が見つけられなかったものを日本が見つける」ということになっても信用できぬ。
 もし、その「証拠」が捏造だったりして、それがばれようものなら、日英米あわせて「捏造の枢軸」と世界に蔑まれても仕方なくなるぞ。あるいは、そうなればトカゲの尻尾きりよろしく捏造は日本だけの責任とされたりしてな。
 まあ、なんだ。実質属国というものは宗主国のいうことを道義をひっこめてもきかねばならぬようだ。まったく、情けない話でござる。

二六六三年六月十二日 三十郎、日本の位置について思う

 また沖縄で米兵による婦女暴行事件があった。
 拙者、こういうニュースに接するたびに、いい加減、日米安保を破棄した方が良いと思う。
 今の状態は日本の防衛と米国の都合のために沖縄を犠牲にしているようなものだ。いい加減、その手の犯罪の諸原因である米軍基地を日本から無くしてしまえと思う。
 破棄が無理なら、せめて、日米地位協定は改正すべきだ。
 かつては、一九九五年の米兵による少女暴行事件をきっかけに沖縄の負担軽減運動が盛り上がり、小渕首相の時代には日米地位協定の改正なるかと思ったものだが、小渕首相が急死してからというもの我が国の政府はすっかり及び腰だし、マスコミもそのことにあまり触れなくなった。
 今の状況を見ると、かつての小渕首相の急死は公式発表の病死ではなく「政治的暗殺」だったのではと暗い考えが浮かんでくる。まあ、まったくの推測にすぎんがな。
 だが、そうだとすれば今の政府の及び腰ぶりがなんとなく判るというものだ。
 現状、日本の位置は、建前は主権国家でも、本音は不平等条約と様々な表に出ない恫喝に縛られた米国の属国、と拙者は思うよ。

二六六三年六月六日 三十郎、侵略戦争について語る

 現在、イラクの侵略を継続中の米国は根強い抵抗にあっておる。
 それは米国が自国の意に添う政府をイラクに樹立し占領を完成させても、なお続くかも知れぬ。
 米兵を攻撃するイラク国民を非難するものもおるが、そもそも侵略戦争とはそういうものだ。
 敵兵だけでなく、敵国民までもが敵として向かってくる。それが侵略というものだ。
 軍服を着ぬゲリラ戦をいくら国際法で禁じたところで、それしか国を護る手段がないのであれば敵国民はそれをしてくるであろう。
 そもそも貧しい国では軍服を調達しようにもそれができぬことも多い。
 「軍服を着た兵士だけで戦争せよ」というのは実のところ富めるものの論理に過ぎぬ。
 軍人と民間人の区別を明確にして民間人の被害を減らそうという理想は解るがな。
 所詮、それはきちんと装備を整えた常備軍を持つことが可能な富裕国の間だけで通用する規則というものだ。

 話は変わるが、拙者、中国においてかつての日本軍が民間人を虐殺したことを否定せぬ。規模においては中国政府の発表を信用しておらぬがな。
 かつて中国では便衣兵によるゲリラ戦が行われておった。
 彼らは平服を着て活動し、日本軍に奇襲をかけては人民の海に逃げ込むという手段で、日本軍に損害を与えつづけた。
 これでは民間人と兵士の区別がつかぬ。
 日本兵にしてみれば部隊の仲間が死んでいくわけであるし、次は自分の番かもしれぬとも思う。死んだのが友人であれば復讐の念にも燃えるだろう。
 なんとしても部隊を襲撃した者を見つけ出そうとするだろう。だが、敵兵と民間人を見分ける明確な手段が無いとすればどうなる?
 数々の惨たらしいことが行われたと拙者は思う。そして、おそらく現実は想像の上を行くことだろう。
 ただ、命の懸かった極限の状況におかれた人間が「殺される前に殺す」という考えに至っても仕方が無いとも思う。

 ゆえに民間人を銃撃する米兵の気持ちも解る。彼らとて死にたくないのだ。
 イラク国民も危険な任務に投入された米兵も被害者なのだ。
 誰が一番悪いかといえば、それは自らは安全な場所でのうのうとしながら問題を戦争で解決しようとする奴らだ。
 拙者は思うよ。
 戦争をしたいのなら、問題を戦争で解決したいやつらだけでルールを決めてやってくれと。
 多くの人は平和に暮らすことを望むのだ。
 だが、一部の権力者のために大勢の国民が戦争に巻き込まれていくのが現実だ。

 戦争はもとより公正なものではない。
 戦争とは所詮、国力と国力のぶつかりあい。
 当然のことながら国力の高い方が勝つ可能性が高い。
 道義的な正しさなど戦争の勝敗には関係ないのだ。
 勝利は正しさの証明になどなりはしない。

二六六参年六月五日 三十郎、平和愛好家について語る

 平和愛好家とは何か?  拙者はそれを「似非平和主義者」と定義する。
 非武装中立などという非現実的なことを主張する彼らはむしろ平和の敵であり、真の平和主義者ではない。
 たとえ世を平和にしたいという立派な理想を持とうともだ。
 真の平和主義者とは、戦争の発生する仕組みを知った上でそれを防ごうとするものだ。

 拙者、米国のイラク侵略には反対でござる。
 しかし、日本政府がそれを支持せざるを得ない立場なのを理解できるので、我が国の対応を責めようとは思わぬ。
 何故ならば我が国は米国の属国も同然だからだ。
 何故か?
 それは日本が防衛と食糧という国家の生命線を米国に握られておるからだ。
 日本に平和のための活動をさせたいというのなら、その前に真に主権国家として振る舞えるようにせねばならぬ。そのためには、我が国が防衛する能力を得た上で在日米軍に引き上げてもらわねばならぬ。他にも為すべきことは色々あるが、まずそれが第一だ。
(在日米軍は米国の都合でいるようなものでござるが、だからといって現状日本が自国の防衛を米国に依存していることには変わりない。)
 我が国が自国の防衛と長大な通商路の防衛を自らの力で行えるようにならぬ限り、我が国は米国に追従するより他にない。
 よって、日本政府が米国のイラク侵略を支持せざるを得なかった責任は、ことあるごとに憲法九条の改正と自衛隊の国軍化に反対してきた平和愛好家にもある。

 平和愛好家は知るべきでござる。
 国際社会は「弱い方が悪い」「騙された方が悪い」という悪の論理が支配する弱肉強食の世界であることを。
 戦争は政治経済の延長であり、利害調整の手段であることを。
 戦後の日本の平和は憲法九条によって護られたのでは決してない。日米安保と自衛隊という防衛手段があったからこそ護られたのだ。
 口でいくら「平和」と唱えても平和は来ぬ。
 真に平和をもたらすためには国際社会に大国の横暴を許さぬような秩序を作り出さねばならぬ。
 そして、我が国をしてそういう秩序作りを行いたいのであれば、まず真に主権国家として振る舞えるだけの力を得ねばならぬ。
 そのためには自国を防衛するための体制作りが必要なのだ。

 このような体制作りはもっと早く行うべきであった。
 しかしながらそのような試みは幾度も平和愛好家どもに潰されてきた。(「もし異国と戦争になった場合、自衛隊は超法規的に活動せざるを得ない」というような当たり前のことを発言するだけでクビ。もはや、どうしようもない。)
 その結果、今は米国の都合で米国に協力するための体制が作られようとしておる。
 このままでは自衛隊が今までより危険な状況の中で米国の都合で使いまわされるは必定。
 結局は憲法九条と非武装中立論に振り回され団結を欠いたことが米国に手をかしたも同然。
 まさに「分割して統治」されたというわけでござるな。
 非武装中立論を振りかざすものは、その言葉に酔う前にそれが誰に利するものかを考えた方が良い。

 拙者は思う。もし、真に平和を望むのなら現実世界の問題点とその原因を探り出し、それを解決するための手段を考え、そして実行すべきだと。
 非武装中立はその手段とはなり得ない。少なくとも今の人間の社会では。

二六六三年六月三日 三十郎、バブリーな世界を語る

 バブルとは何か?
 拙者はそれを「あるものに実質的な価値以上の価格がつけられること」と定義する。
 ものには本来、実体に応じた価値しかないものだ。

 かつて日本は土地が永久に値上がりしつづけるという「土地神話」を信奉して土地バブルに陥った。
 土地を売買する際に「利益を上乗せして」実質的な価値にそぐわぬ価格で転売しつづけることで地価は上昇しつづけた。
 無論、そんな日々がいつまでも続くわけが無い。バブルは崩壊し、それによりバブルに踊った人がそれなりの価格でしか売れなくなった土地と巨額の負債を抱えて苦しむだけでなく、その土地を担保に融資した銀行も不良債権に苦しみ、バブルとは本来無関係に生きていた人達も経済の停滞に苦しむことになった。
 所詮バブルなど売り逃げしたものが勝つゲームのようなもの。それで確実に儲けを得られるのは、その崩壊の時期を知るか、おおよその崩壊の時期を設定できる仕掛人どもだけだ。
 彼らは一般大衆が釣られて参加し始める前の市場で利益を確保し、膨らんだ市場が崩壊する前に売り逃げすることができる。

 仕掛人どもは人の欲につけこむ。
 人にあるものを「値上がりしつづける」という「幻想」を信じ込ませて売りつける。
 値上がりしつづけるのならば売らずに自分たちで持っておけば良いと拙者は思うのだが、彼らにしてみれば売買によって価格を釣り上げてゆかねば意味はない。それで利益を得て活動しているわけであるからな。
 もちろん、その一方で買いつけもする。「ものには本来、実体に応じた価値しかない」という単純な理屈も解らずに欲に釣られて騙されるバカどもにさらに高額で売りつける材料を得るために。
 こうして、ものの実質的な価値は変わらないのに、売買の際に上乗せされた金額分、そのものの価格はあがってゆく。
 理論はごく単純なものだが、人は欲が絡むと見境が無くなるものらしい。バブルは歴史上なんども繰り返されてきた。
 過去の事例が豊富にあるということはバブルが崩壊する前の兆候もある程度経験則に基づいて判るということだ。
 そういう市場に盛んに一般人を勧誘し始めたときなどがそれだな。
 投機という名のギャンブルに身をやつすものはこういう兆候を知っておいた方が良いかも知れぬ。
 拙者はもとよりそういうバカげたマネーゲームに参加する気はないがな。

 前置きが長くなった。本題に入ろう。
 世の中にはバブルな価格がついていながら崩壊せずに膨らみつづけるバブリーな世界というものがある。
 それは芸術でござる。
 それまで二束三文の価値しかなかったものが、芸術だと世間に知らしめられることで高額で取り引きされるようになる。芸術と認定されるだけで、そこに巨額の金が産まれるというわけだ。そのもの自体は何も変わっていないというのに。
 芸術に仕立て上げるターゲットは基本的になんでもかまわぬ。一般大衆から離れた世界のものであればな。要は一般大衆に「あるものが高額で取り引きされ、かつ値上がりしつづける」という幻想を信じ込ませることができれば仕掛けの第一段階は成功でござる。
 一般大衆にそういった幻想を植えつける方法の一つ。
 それは仕掛人自らが実際に高額でターゲットを買ってみせることでござる。そしてそれをマスコミとの連携技で世に知らしめればよい。
 まあ、なんだ。市場を作るための種まきだ。

 ばかばかしい話ではあるが、拙者、もしやそういうターゲットにフィギュアが選ばれたのかもしれぬと思っておる。
 ここにあるフィギュアが伍十六万ドルという価格で落札されたという報道がある。
 これでござる。

 絵画を数千万ドルという価格でやりとりする仕掛人どもにしてみれば伍十六万ドルなどはした金に過ぎぬ。
 駄目でもともとくらいの感覚で仕掛けてきたのではなかろうか。
 もっとも、そういうのは拙者の思い過ごしで、単に金持ちの道楽であったりするのかもしれぬ。

 その手のものの大供給国である日本ではフィギュアがバブリーな世界のものになるということは、もとより考えられぬが、海の向こうでは勝手に芸術として一人歩きし始める可能性もありうる。
 拙者、フィギュアが芸術として認定されるような事態はごめんでござる。
 常々、そういうホビーが世に受け入れられることを望んではいるが、世に受け入れられるにしても芸術としてではなく、身近な趣味としてであって欲しいのだ。
 というわけで、さんざんサブカルチャーを蔑視しておきながら、海の向こうでこのような高額で取り引きされた途端に芸術扱いするような一部マスコミの有りようを悲しく思う。おぬしらの判断基準は所詮そんなものなのか。
 多分、そんなものなのであろうな。M$のゲイツを誉めそやしているあたり、技と行いではなく、金でしかものごとを評価できぬわけだ。
 サブカルチャーの行く末を憂いつつ終わりでござる。

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